DrGachakoのブログ

親ガチャに恵まれた女医は息子たちをどう育てるのか?

m3連載第1回:子育て女医の「自分だけ損」を変えた、夫の一言

はじめまして

教育ママ医 ガチャ子(@DrGachako)です。

医師専用の会員制サイト m3.com にて、教育ママ医目線での連載を開始しました。

m3.com の許可を得て、連載を全文公開させていただきます。

 

自己紹介

私は今、年長児と小学3年生という二人の男児の育児に奮闘しながら、パートタイム麻酔科医として働いています。

 医師としてのキャリアは、初期研修終了後、母校の大学病院麻酔科へ入局。その後、関連病院での勤務を経て“手術大好き外科医”と結婚しました。結婚後は、ありがたいことにすぐ妊娠し、2回の出産を経験。長男の小学校受験を終えたうえで、現在は次男の「お受験」に取り組んでいます。

 夫は常に多忙で、働き方改革とは無縁の日々を送っています。彼と夫婦になって、今年で10 年目。今まで、育児や家事にまつわることで大小のいざこざを経験してきましたが、ここのところようやく平常運転になってきました。

 子育てをしていると自分の時間は削られる一方ですが、幸福度は増しますし、自身のメンタルも“鋼級”に強くなっていることを実感しています。さらには、小学校受験を通してイライラと葛藤を乗り越えるためのアンガーマネジメントを体得し、そこで学んだことは職場でも役立っています。

 私はもともとせっかちなのですが、アンガーマネジメントを活用することで、術者の先生方やオペ室スタッフとより円滑なコミュニケーションができるようになっているのです。

 私のように、子育てや教育に不安や迷いを抱いている先生方は少なからずいらっしゃると思います。私のこれまでの教育ママ体験話が、皆様のお役に立てると嬉しく思います。

 それでは、まず、教育ママになる少し前の話からお伝えしたいと思います。

“野心の塊”だった私

 私は学生時代、独立と自由を尊重する女子校教育を受けたせいか、根っからのバリキャリ志向でした。たとえば、「海外留学をしたい」「医局で出世したい」「教授は無理でも基幹病院の部長クラスにはなりたい」などと将来の目標は多く、野心の塊でした。

 私が若手だった頃は、「海外留学歴+英語論文+サブスペシャリティ」が出世街道の王道でした。大学病院の麻酔科で勤務していた際、その医局の教授は、私のギラギラした野心を見抜いたのでしょう。サブスペシャリティ領域を修練できる関連病院ポストを用意してくださいました。

 そこで私は大好きな人に出会います。その人の外見を例えると、通勤電車の1両に10人は乗っていそうな“純日本人”の容姿なのですが、患者さんやオペ室スタッフへの対応はスペシャル。私が今までに出会った外科医のなかで、史上ナンバー1と断言できるほどの魅力を感じました。

 彼は、患者さんに予期せぬ動脈出血が起こっても、周囲に大声で指示することはありません。落ち着いた様子で指示だしをするので、器械出しの看護師は焦らずに済みます。

 そして、とても仕事熱心で、執刀した患者さんを診るためであれば、週末、自分は当番外だとしても来院して診察していました(この熱心さが、のちに、家族としてはトラブルの要因になるのですが…)。

 私は、患者さんのベッドに取り付けたリヒカのこちら側から、彼にラブラブ光線を送り続けました。そして、それを受け止めてもらい、結婚に至ったのです。

産後、やる気満々で“シャバ”へ復帰
しかしそれに反して…

 結婚後は比較的早く妊娠し、第一子を無事に出産しました。そして産後3ヶ月目からは、子どもを院内保育園に預け職場復帰。慣れない夜泣きへの対応と頻回授乳でぐったり疲れてはいたものの、乳児とふたりきりで過ごし続けた密室から“シャバ”に出られると思うと、興奮する気持ちのほうが大きかったことを覚えています。

 久しぶりに出勤した手術室では独特の緊張感を覚え、私は、「どんどん麻酔かけたるで~。術後疼痛管理も任せとき!」と、やる気満々で仕事に取りかかったのです。

 しかし、自分時間の幸せを噛み締めたのも束の間、私が思い描いていた麻酔科医としての理想の生活はすぐに頓挫しました。なぜなら、保育園にいる子どもが、哺乳瓶による授乳を完全拒否したからです。勤務中、保育士さんからの“授乳要請コール”が頻回となり、仕事が中断することもたびたびでした。思い返せば、ことの発端は、私の初動ミスでした。

 夜中にミルクを作ったり、哺乳瓶を消毒したりする煩わしさから、産後はほぼ直母(哺乳瓶を使わずに直接授乳すること)だけで育てていました。哺乳瓶にも時々トライしましたが、息子は泣き叫んで哺乳瓶を拒否するのです。

 これは困ったなと思ったところ、先輩ママが励ましてくれました。「保育士さんが哺乳瓶でミルクをあげると、不思議と飲んでくれるから大丈夫だよ」と。この言葉に、すっかり安心していました。

 そして、保育士さんがいざ哺乳瓶でミルクをあげることになったのですが、息子は反り返って大泣き。しまいには、泣き疲れて寝てしまうのです。保育士さんはありとあらゆる哺乳瓶でトライしてくださいましたが、結局、十分量を飲むには至りませんでした。

 その頃の私の勤務状況は、次のような具合でした。手術中に私のPHSが鳴ると、外回り担当の看護師さんが代理で出てくださり、「はい、授乳ですね」と返事をします。そして、それを聞いた術者の先生が、「手術は安定していますから、ガチャ子先生、授乳どうぞ~」と言って下さる始末。

 私自身は、麻酔中も授乳間隔が気になってソワソワ。授乳間隔が空くと、張った乳房から突然母乳が湧き出て、オペ着にシミを作ってしまうこともありました…(グロテスクですみません)。

 最初のうちは苦笑いをして謝る余裕がありましたが、次第に、プロとして失格ではないかと思い悩むように。加えて、息子は、登園初期のお子さんによくあるケースの頻回発熱を起こすようになり、私は仕事を早退する日が増え、気持ちは鬱々としてきました。紆余曲折を経て、ついには、復帰後ほんの1ヶ月で退職する決断をしました。

 今後、出産と復帰を考えていらっしゃる女性ドクターの皆様は、産後早めからの哺乳瓶の練習を強くお勧めします。

イライラが頂点に達し…
ついに“第一次夫婦大戦”勃発!

 退職後は夫が私のメンタル面をサポートしてくれましたが、当然のことながら授乳できるのは私だけです。一方、夫は働き方改革とは正反対の生活を送っているため、遠方の学会発表にも参加する有様。家にいる時間はわずかです。

 このような日々を送ることで私のイライラは頂点に達し、ある日、“第一次夫婦大戦”が勃発しました。

 きっかけは、些細なことです。我が家のゴミ出し担当は夫ですが、実際の彼の作業は、玄関の前にまとめてあるゴミ袋をエレベーター横の集積場に出すだけ。排水溝にたまっている髪の毛を取り除いたり、各部屋のゴミ箱からゴミを集めてまとめたりするのは私です。

 そんななか、ある日のことです。夫は玄関を開けると、スマホを見ながら「行ってくるよ~」とつぶやき、そのままゴミ袋をまたいで出勤しようとしたのです。この瞬間、私はキレました。

 私「ちょっと! なんでゴミ袋をまたぐの!?」
 夫「あ、思わず…。捨てるの、明日でもいいじゃん」
 私「は? 行く途中に出すだけだよ! 私が『授乳するの明日でもいいじゃん』ってなったら、子どもは死ぬんだけど!」

 自分の言い分は、飛躍しすぎの理論展開だと自覚しつつも止められず。こうして、夫婦大戦は幕を開けたのです。

マインドが変わった、夫の一言

 夫婦大戦勃発後、私は夫に対して無視を続けました。そして、食事作りを拒否。そんな日々が続くなか、ある出来事が起こり事態は好転します。休日で在宅だった夫の目の前で、息子が初めてひとりでおすわりができるようになったのです。その瞬間を目にした夫は、こう言いました。

 「いいなあ、ガチャ子は。いつも、子どもの変化を最初に見ることができて

 夫がふとつぶやいたそのひと言に、ハッとしました。そして、まるで憑き物が落ちたように気持ちが晴れたのです。退職して以降、私ばかりが損をしている気になっていました。でも、私だけが得していることもたくさんあるのです。そしてそれは、夫が仕事をしているから味わえていることなのです。

 さらに、夫の次の言葉を聞いて私は降参しました。

 「母親業って最強だな。コックで、警備員、時々は教師。それから、子どもとじゃれ合って漫才もするんだろ?」

 私は今まで、夫や、周りのママ医と自分を比べていました。でも、そんなことをしても何も始まらない。自分は母親業で進化しよう! と、マインドチェンジできた瞬間でした。

 これから育児へ突入なさる皆様には、「育児は育自」という先輩方の言葉をお送りしたいと思います。進級試験や国家試験をパスされてきた先生方には、きっと、「自分育成ゲームが始まる」「メンタルブートキャンプが始まる」という心持ちがフィットするのではないでしょうか。育児を通してご自身を磨き、ポジティブに楽しまれることを願っております。

次回予告
小学校受験を決断!そのとき夫婦は!?』

 次回は、私が小学校受験を決断したワケと、その時夫婦で起こったアレコレについての話をお届けする予定です。親ありきの小学校受験では、願書提出や面接をはじめ、夫婦の協力が必須です。「お受験」を目指す方、目指さないけれど子どもの教育に力を入れたいパパママの先生方が、私の体験を参考にしてくだされば幸いです。